2021/12/12 23:54

 日々の生活に欠かすことができない布。その中でも木綿の布は丈夫で使い心地がよく、衣類だけでなく布団などまで様々なものに使われています。しかし、そのほとんどが海外からの輸入に頼っており、国産のものはほとんど流通していません。

 綿はもともと熱帯地方の植物で、日本には15世紀の末に中国や朝鮮から綿の種が入ってきたと言われています。戦国時代の終わりごろに栽培に成功し、広く庶民にまで普及したのは江戸時代以降のことです。それ以前に、日本に漂着した崑崙人が綿の種を持っており、それを日本で栽培し始めた記録があるようですが、その時には日本各地に広がったものの栽培がうまくいかずにすたれてしまいました。

 戦国時代から江戸時代にかけて、綿の栽培は日本の温暖な地域に広がりましたが、明治時代に入ると急速に栽培されなくなってしまいます。理由の一つは、外国製の紡績機械に繊維の短い日本の綿が向いていなかったため。もう一つは、綿花の関税が廃止されて外国から安い綿花が入ってきて、それに太刀打ちできなかったためです。



 
 私の母は、ある時、日本の綿で織物をしたいと思い立ちました。そして、和棉の種をつないでいる人を探して、一時期茨城県の方で綿の栽培をするグループの方たちと一緒に畑を借りて棉の栽培をしていました。その後も、棉畑のできるところ引っ越したりして、何年か和棉の栽培を続けていました。

 今は引っ越して茨城県を離れているのですが、プランターや、お友達の畑の一角でささやかに和棉の栽培を続けています。かれこれ20年くらいになるそうです。

 まだ畑をやっていた時の綿が残っていて、時々それを紡いではマフラーやショールを織っています。畑から考えたら、本当に長い工程を経て出来上がるマフラーですが、作る人間からすると作り甲斐のある、楽しい時間です。



 そんなわけで、我が家には毎年ささやかに収穫してつないできた和棉の種と綿を糸にするまでに使ういろいろな道具がそろっています。少し前までは、持っている人も多かったであろう糸紡ぎ機や、綿の実から種を取る綿繰り機などは今ではちょっと珍しく、道具として面白いので、ワークショップなどでも喜ばれます。



 先日、「コットンボールから糸へ」という糸紡ぎ体験ワークショップをしたのですが、いろいろ準備をする過程で和棉の栽培をしたいという農家さんとつながることができました。もしかしたら、何年後かに京都産の和棉でマフラーが作れるようになるかもしれません。地産地消?

 これまで茨城で取れた綿を大事に大事に使ってきたのですが、なくなる心配をせずに、和棉を使い続けることができるようになるかもしれません。これを機会に、和棉に触れて、日本産の綿を楽しむ輪が広がると嬉しいなと思っています。近い将来、ハンサムなマフラーの店でも和棉の手紬糸を手織りしたマフラーを継続して作れるようになるかもしれません。